他人のふんどしで相撲を取る人の違和感

「他人のふんどしで相撲をとる」という言葉がある。

これに非常に違和感を感じることがあった。別に相撲はまわしでとるものであり、ふんどしでとるものじゃないとか、そういう話ではない。

慣用句の意味通り「他人のものを使って~する」の意なのだが、他人のものを使ってすることで違和感のあるものに最近であった。

それが、ブログやニュースなどへのコメント欄である。

先日、次のようなことがあった。

某大手ニュースサイトにて、学校がブラック企業化しているという記事があり、多くのアクセスとソーシャルでの盛り上がりを見せていた。そして、フェイスブックでのコメントが200件ほどついていたのだが、この中に気になる内容があった。

『いいね』をつけて下さった皆様、ありがとうございます。●●さんの意見とは若干異なりますが、私は以下のように考えております。(以下略)

ネットの世界ではまあ、普通のことではあるのだが、何だろう。これははてなブックマークでもよくあることではあるのだけど、元々のコンテンツと違う内容について、あえてそのページのコメントで表示させるというのが何とも違和感があったのだ。

そう、バレーボールの国際大会の最初にジャニーズのアイドルが歌って踊ってるような違和感。具体的なことは何もないけど「~選手に期待してます」と言ってしまうような違和感。

わざわざ観衆に見える場所でコメントし、自分の話をしたがる人。そういう人は日記でも何でも好きにSNSでやればいいのに、どうして他人のコンテンツの中にねじこんでくるのか。議論にもなっていない内容だったので、さらに違和感があったのだった。

こうした、他人のふんどしで自分のやりたいことをやる人が最近多い。

自分では何のコンテンツも出さないけど、ひたすらリツイートばかりしている人もいる。こういう人は何をしたいのだろう。

SNSにおける、評価集め、フォロワー集めが「他人のふんどし」を利用する人を増やしているような気がしてならない。何だか違和感があって気持ち悪い。こういう肌感覚は私だけが感じるのだろうか。

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3件のコメント

  1. 過去記事だとは思いますが、書いてる内容、わかります。大事なのは自分で情報を発信すること。できない人が多すぎですよ、最近は。
    パターンとして、そんな人は言われても気がつかない。
    自分が何もしないのに聞こえてきた他人間での会話を、まったく別の場所で「さも自分が聞いてきましたー!」みたいに話す。
    でもね、思うんですよ、「いろんな人間がいるんだなー」って。
    他人のフンドシ使ってる人間なんて、周囲からの評価はしょせん「いてもいなくても関係ないよ、アイツ」みたいな扱いですからね。
    あーーーー書いたら少しスッキリしましたー

    1. こういう人は話もコロコロ変わりますからね。
      ドラえもんで言えばスネ夫くんでしょうか。
      絶えずネタを持ってこないといけない自転車操業ですね。それはそれで大変かもしれませんが。

  2. お説ご尤もかとおもいます
    しかし、もう少し細かく言えば「他所の土俵で勝手に相撲をとる」だと思いました
    スポーツ中継中にジャニー〇の何とかが歌うたったりなど、まさに他所の土俵だろと、許可は貰ったんだろうけど、相撲じゃ無くて勝手にテニス始めるんじゃねえよと

    本当はバカにする他人の見解を丸々使って、これまたバカにする他者と激しく争論する事を何というのかを調べてました
    使う他人の見解はこの人、全然同意してなくてバカにした見解を使うんです
    で、議論相手もこの人にはバカにする相手なんです
    考えられますか?笑っちゃいますよね
    この当事者は、議論に負けても何にも痛くない、そもそも出す見解が他人のものなので
    論破されても全く無関係なんですよね
    ただ単に議論の為に議論がしたいのでしょうけど、他人のふんどしで相撲をとるとはまさにこう言う人を言うのかなと痛感しました

    本来は便乗を言いたいのでしょうけどね

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