「宗教はボロ儲けしない」と言っておく

宗教ボロ儲けみたいな記事がネット上に非常に多く、誤解があるので、宗教について書く機会のあるライターとして一言物申しておきたい。

宗教は決してボロ儲けしない。

このことについて、ハッキリさせておきたいことがある。

① 宗教のくくりが大きすぎる

宗教というくくりで考えた時に、巨大宗教から(法人格も取れないような)新興の小さな宗教まで様々である。それをひとくくりにしてはいけない。大企業と中小企業くらいの差がある。アベノミクスで株価が上昇しているから、日本の景気は回復基調だというくらいの危険な考え方である。

② 宗教が非課税なのは法人税である

坊主丸儲けという言葉があるが、非課税になるのは法人税である。宗教法人といえども源泉徴収の対象であり、法人から役員や使用者(住職や神父など)に支払う給与などにはちゃんと税金がかかっている。職務の遂行上やむをえない場合を除き、役員や使用者が庫裏(くり。僧侶などの居住スペース。寺院に付属する)に住むなら現物供与とみなされ、それも源泉徴収の対象となる。

また、宗教法人が収益事業を行なう場合は、そこにもちゃんと法人税がかかる。

宗教法人が税金対策と言われるのは、寄付や寄進に関して非課税となるために、それを隠れ蓑にして課税対象となるお金を逃がすことができるからであって、そもそもがそんな現金を別途に有しない限りは意味がない。

そして、宗教法人はちゃんと消費税も地方消費税も払う義務がある。

詳しくは国税局の宗教法人の税務(PDF注意)を参照。

③ ぼったくり?に見えるがそうではない

たとえば、神社でおみくじがあるが、これは原価率で言えば5%にもならない。100円なら90円以上が儲けになる。お守りも、どんなに良い生地で包んでも原価率は15~30%程度にしかならず、70%以上は利益となる。

これらはぼったくり商品に見えるかもしれないが、この場合は税法上は通常の物品売買利潤とはみなさず、喜捨金として考えられている。要は、渡される物品はあるがお布施扱いなのだ。だから非課税になる。

逆に一般の物品販売業でも取り扱っているようなカレンダーやキーホルダーなどを常識の範囲内の価格で販売するのは物品販売とみなされ、課税されるようになっている。

だから、一般的な価格に落とすということは、利益率を下げるばかりか課税対象にしてしまうという行為になる。宗教側から言えば、寄付として捧げられたお金を国に流すことになるので信者の満足度が下がるのである。こういう理屈があるから、理解できない価格の壷が販売されるのは宗教的には正しい選択である。

もっと言えば、寄付や寄進といったものにある程度の基準が無ければ安心して奉仕(サービス)を受けることが難しくなる。弁護士事務所が相談料や報酬についてオープンにしなくて利用しにくかったのと同じである。金額が公表されるということは、それで取引がされるということであり、むしろトラブルが減るようになる。たとえ、それが高く見えてもだ。

④ ビジネスとして考えた場合の妥当性

宗教をビジネスとして考えた場合、儲かっているところは多くの会員を持っている宗教である。もしくは、一人あたりの寄付額が大きな宗教である。

多くの会員を持っている宗教は、たとえて言うなら創業以来何十年、場合によっては何百年と顧客基盤を築いてきた老舗企業のようなものである。新宗教といわれるものですら、その起こりは東証一部の企業よりもずっと昔であることが多い。

また、ビジネスとして考えるなら、宗教は心や霊魂を掴むサービス業である。物品を生産して販売するわけではない。サービス業は顧客満足をいかに満たすかが肝要であり、それが成されることで「太い客」が生まれ「紹介」でサービス受給者が増える。宗教だから儲かるのではなく、そういうサービス業として価値があるから儲かるようになるのだ。儲かっているように見える宗教は、ビジネスとして考えれば、儲かっているのが妥当だからである。

⑤ 寄付額の大きさがおかしいと思う人へ

成功したビジネスマンが馴染みのクラブのママさんやキャバクラのキャストにおこずかいをあげると考えればそんなものだ。服も車もマンションも買ってやるやるんじゃないか。相手のおかげで大きくなり、成功したと思えばそういうこともするのだ。

正直、私はそんなことはしたこともないし理解もできないが、そういう世界はそういう世界の人にしかわからない。自分が理解できないのと、間違いだというのは別の話である。

結論: 宗教だからと叩くのは、貧乏人の発想である

あれこれ書いてきたが、宗教をネタにして叩きたがるのは分別の無い無知な貧乏人の発想だ。心の貧乏人だ。実際、経済的にも貧乏かもしれない。

キリストの言っている心の貧しい人ではない。キリストの言うのは自分が足りない、罪人だと思って成長と救いを求める人である。宗教叩きをする人はそんな高尚な人では決してない。ただの妬みひがみが8割だ。

そして、そういう宗教批判をネタにして利益を得ようとするセコい自称ジャーナリストやメディアが多くいるということだ。彼らは宗教に興味のないマッチポンプの専門家であって、宗教についてちゃんと紹介しようという心がない。

もちろん悪い宗教もあるが、何をもって悪い宗教とするかも明確でないことがほとんどだ。個人の問題も宗教の問題にすりかえる。その方が話題性があって面白いから。しかし、各宗教の中の理屈では個人の問題であることがほとんどだ。

いい加減、こういうネットゴミが無くなるように、日本人はもう少し宗教に対して教養と理解がないといけない。この記事も、本来はインターネット上においておく必要のない、インターネット上のゴミだ。野良猫よけのペットボトルみたいな、景観を損ねる謎の物体でしかない。

ただ、ひとつだけ言うなら、宗教に関する法制度には抜け道も多く、それを利用して納税すべき税金が納められていないことは実際あるのは事実である。

 

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1件のコメント

  1. 宗教に対して、偏見の目を持たせたくないならば、
    同じ宗教内であっても、宗教を金稼ぎのために行っている人を、
    強欲という悪魔に取り憑かれた極悪人だといって、
    その宗教の尊厳のためにも、断罪していくべきだろう。

    身内揉めとか言い出すやつが居たならば、
    悪魔に取り憑かれた身内が居るので御祓いをしているんですといってやれ。

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